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日付:2002年6月4日

タイトル:20代を全力疾走したビジネスマンたち


経営者の情熱に触れた20代 興銀を飛び出して夢の実現へ

20代、エリートコースを歩いてきた。銀行マンとしてそれなりに成績を上げてきた自信もあったが、MBA留学をきっかけに近藤の中にあった熱い思いが頭をもたげる。それは、20代で出会った経営者たちの言葉だった。

自分なりの興銀マン像をつくり経営者に強烈アタック

「私の人生に最も大きな影響を与えた人、といえば20代の頃に出会った大勢の中堅企業の経営者でしょうね」

出会いはもちろん仕事を通じて。新卒で入行した日本興業銀行で、近藤が法人営業の新規開拓を担当していた当時のことだ。

「興銀の場合、マニュアルなんてありません。各自がベストだと思う手法で営業をかけていく。私は迷うことなく経営者に直接連絡をしていきました」

通常、企業には頻繁に出入りする都銀や地銀の担当者がおり、経理や財務担当者に食い込んでいる。興銀の入り込める余地はあまりにも小さいように見えた。そこで近藤は「経営というスタンスで話をしたかったから」ダイレクトに経営者にアタックした。

「相手は中堅企業のオーナー社長。歴戦の強者ばかりです。私はといえば駆け出しの20代、きっとピントはずれな話をしていたはず」

笑いながら振り返る近藤。もちろんただ飛び込むのではなく、経営者に会うために上司や先輩の力を借りながら「自分なりの調査・分析をし、仮説を立てる」という作業に時間を費やした。地道な努力を厭わなかったのは、近藤の場合、入行当時に読んだ高杉良氏の『小説日本興業銀行』に感銘を受け、自分なりに興銀マンとしての使命を果たそうという気概があったからだ。

「最初は、若造が1人でやってきたことに驚かれたりしましたけれど、意外なほど皆さん話を聞いてくれました。『最近は君のように思い切って飛び込んでくる人が少ないんだ。面白いじゃないか』などと、言われました」

酔いつぶれながら聞いた経営者の熱い言葉

失敗もあった。ある日、クレームの電話が入り、経営者から呼び出された。近藤の提案が現場を理解しておらず、一方的であったというのだ。怒る経営者に近藤はじっと耳を傾けるしかなかったが、そのうち相手も心を許したのか、酒をすすめられた。そして経営者は「若造」を相手に、経営や仕事について熱く語り始めた。お互い酔いつぶれるまで飲んで語ったことを近藤は今でも忘れない。

「やらされてするのではなく、夢を抱えて仕事をすることの素晴らしさ。これを教えてもらったんです」

こうした経営者らとの付き合いは「仕事」ではなく人間同士の真剣なぶつかり合
いであったという。その後、28歳から30歳の時期を近藤は社費留学によってビジネススクールで過ごした。

「この時の経験も大きいですね。一緒に学ぶ同級生が全員『自分はこういう仕事をしたい』というビジョンの持ち主でした。そんな中で『どうしてもやりたいこと』を持っていない自分を思い知らされたわけです」

ハコに自分を合わせるより自分の"思い"に気づいて


夢やビジョンの素晴らしさ、重さを思い知らされたのが近藤の20代だった。帰国後は人事部に配属となったが、2年後、32歳で現在の前身であるレゾナンス出版を設立する。安定した興銀マンという地位を捨てることに葛藤はあったが、20代での経験が彼を突き動かした。

「別に出版という事業をしたくて起業したわけではありません。結局、『これがやりたくて仕方ない』とか『これをやっていると気持ちいい』と思えるツボを自分の中に持てるかどうかが大事だとわかったんです。気づけば20代の頃に出会った"熱意ある人々"の思いを世に伝えたい、彼らのメッセージを広めたいと強く思うようになっていた」

近藤は「ハコ」と「思い」の関係を例に挙げながら持論を語る。


近藤流熱い体験に出会う法
・自分なりのスタイルを確立する
・人とぶつかり合うことを恐れない
・ハコにとらわれず自分の"思い"を大切にする



「かつては会社や建物といったハコが重要だった。ハコ選びで人生が決まると思うから、ハコの優劣の分析が大事だと感じていた。でも、今やハコは世の中に溢れています。だからこそ今は熱い思いがあれば、ハコが勝手に近づいてきたりする時代なのです。」

近藤率いるレゾナンスもあくまでもハコのひとつではあるが、ハコの拡大ではなく「思いをドライブさせながら今を生きよう」が彼の目標だ。その思いがオフィスにも満ちている。

「ハコを選ぶ前に"思い"を育てようよ」これが近藤正純・ロバートの熱きメッセージだ。


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