掲載誌名:夕刊フジ
日付:1999年9月4日

タイトル:好奇の人(5) 夢を追いかける男たち


中小出版社への支援システム構築を始める

1997年12月、日本興業銀行を退職した近藤正純ロバート(32)= 当時 = は祖父の著書『一目均衡表』を現代版で出版する企画書を携えて、出版社を駆け回った。著書には株の技術論と株を極めた男の人生哲学が著されていた。
「道を外し始めた証券マンに読ませたい。現代版を出版してくれませんか」
ところが、ほとんどの出版社から「売れない」と門前払いを食わされた。

---どうしようか。
近藤は予期せぬ展開にあせった。自分は祖父の著書を出版するために興銀を辞めたのに---。

先輩のひと言


困り果てた彼は、親交のあった興銀の2年先輩、高畑龍一に相談した。高畑とはコーネル大学ビジネススクールで知り合った仲。すでに興銀を退職、インターネット関連のコンサルティング活動に従事していた。
「----出版社はどこも相手にしてくれません」
「おまえがやりたいのは本の出版を含めたプロデュースだろう。この価値大崩壊時代に、プロデュースしたい人って『一目山人』(祖父のペンネーム)の他にもいっぱいいるだろう。ならばプロデュース会社をやればいいじゃないの」

近藤はその言葉に、目からうろこが落ちる思いがした。そうだ、新しいメッセージを発進するプロデュース集団をつくろう----。

近藤は、98年3月、有限会社「レゾナンス出版」を設立した。メンバーは高畑と講談社を退職した編集者の3人。近藤は設立に当たり、今までにない仕組みを作り出そうと知恵を絞った。その結果 、「出版ファンド」という資金調達システムを導入した。アメリカでは映画業界のファンド設立は一般 的だが、出版界では初の試みだった。

出版ファンドとは、出版資金を募集して、売り上げに応じて利益を還元する仕組みで、彼はまず10軒の事業会社や個人投資家から1口5百万円の出版資金を調達することにした。2年間で4冊の本を出版し、実売3万部で14.2%の利回り」という見通 しを立て、投資家から4千万の資金を集めた。

そのために投資家に、1冊のファンドにどれくらいコストをかけるのかという収支計画を開示し、会計士を入れて財務の数字をチェックする。その財務会計の仕事がのちに中小出版社への支援システムという新しい事業を生むことになる。

今年中4冊目

また、本の制作は著者・編集・カメラマン・営業・デザイナーらを1つのプロジェクトチームにまとめ、それぞれと個人契約を結んで歩合制で報酬を払う方式を打ち出したり、宣伝も本屋でタレントによるイベントを行い、それをインターネット同時中継するなどの「クロスメディア戦略」を展開したりした。

そんなやり方で、すでに、3冊を刊行、99年中に4冊を出す予定だ。

さらに、99年7月には中小出版社の経理事務・ファイナンスなどの業務を代行する「P(パブリッシャーズ)クラブ」を創設。良質なコンテンツ(情報の内容)を持ちながら資金調達力に乏しく、取次会社と取引してもらえない中小出版社が、編集に専念できるような経営環境を与えることを目的としている。

「中小出版社はいい本をつくりたいという人間が集まり、宝のようなコンテンツを持っている。しかし、財務などをやる人がいないため、資金繰りに失敗して倒れ、良質のコンテンツがみすみす死んでいくことが多い。そこでうちがコンテンツづくりに100%集中できる体制をつくって差し上げるということです」

編集以外を代行

同社はコンテンツをCD-ROM、キャラクターなどにする2次利用を行い、大企業などへパッケージとして販売する事業を主体にしていく方針。
Pクラブは、99年には50社、2000年には150社に拡大し、総売上げ15億円を目標にしている。

イギリスのヴァージン航空グループを立ち上げたリチャード・ブランソンを尊敬する近藤は少年のような無邪気な表情で語った。

「ブランソンに会ったとき、僕が『夢は日本のブランソンになることだ』と言うと、『なれるよ。オレのスタートも学生新聞の出版だった』と言われたんですよ」