掲載誌名:夕刊フジ
日付:1999年9月1日

タイトル:好奇の人(2) 夢を追いかける男たち


MBA留学で"自由な生き方"への思い募らせ

「独立した直接の理由は、じいさんの書いた本を出版することが自分の使命だと感じたからです」 中小出版社の経営支援システムなど、出版業界に新風を吹き込む「レゾナンス出版」社長の近藤正純ロバート(34)は、そう言って笑った。

1994年5月、日本興業銀行マンだった近藤は、コーネル大学ビジネススクールに入学した。日本を離れるときの目的はひとつ。MBA(経営学修士)を取得し、グローバルな企業の経営疑似体験を営業に生かすことにあった。日本の経営者に、アメリカ企業の再生ケースをレクチャーし、経営の参考にしてもらう、そうすれば営業の強力な武器になると考えていた。

経営に正解なし

そのために近藤は、「起業家精神」と「製造業研究」の二つの科目を真剣に勉強した。製造業研究は従業員の管理、プラントの建設など製造業からみた経営の研究である。東海岸の全向上を、三ヶ月間で二十カ所ほど見て回り、リポートを提出した。

近藤に価値観の多様化を考えさせる機会となったのは「起業家精神」の授業だった。ケーススタディーの時間では、ある企業の経営状況が報告された後、学生が社長の立場にたって課題や問題をどうやって克服するのか、対策を発表する機会がある。あるとき近藤が方策を述べると、「ロバートは間違っている。レイオフするべきなのだ」などと一斉に反対意見が上がった。

痛烈な批判を浴びせられたことにショックを覚えたが、さらに驚いたのは議論が終わった直後だった。ケーススタディーとして取りあげられた当の会社の社長が紹介され、「いろいろ議論されたが、正解は実はこうです。私はこういうふうにやったから、うまくいったんです」と手の内を明かした。

すると、全員手を挙げて「---そんな経営をするからあなたの会社はそこまでしか伸びないんだ。オレが社長だったら、こういうふうにやる。そうすれば二倍は伸びているはずだ」などと反対した。

「---確かに、私のやり方はまずかったかもしれない。皆さんみたいな創造的な発想の人たちをぜひ採用したい」と、社長は率直に語った。

金融不祥事発覚

そのとき近藤が痛烈に感じたことは、「経営には正解がないということ」だった。それは個々の人間の生き方にも言えることではないか。留学生活にそんな視点を加えると、確かに自分の周りにも、ダイビングを教えることに生き甲斐を感じている人、キャンピングカーでの旅行に人生の喜びを感じているひと、起業家を志している人など、さまざまな生き方をしている人がいる。彼らの共通 項は、「好きなことをやっている」ということだった。

近藤は、頻繁にニューヨークへ遊びに出掛けたが、そこでよく目にしたのは、中華街などで在日日本企業で働く日本人社員同士が肩を寄せ会ってテーブルを囲んでいる光景だった。仕事の話だけに終始している会話を想像すると、「彼らに植え付けられた価値観は、いい学校を出て、大企業に入り、サラリーマンとして出世することだけだ」と哀れに思えてきた。

好きなことをやって生きていきたいという思いは募るばかりだった。

96年5月、2年間のMBA留学生活を終えて帰国した近藤は、元の部署(本店)にも戻り、事務部門の子会社化の仕事に携わった。その辞典ではアメリカでの思いは薄れ、1サラリーマンとしてMBAを取らせてくれた興銀に恩返ししなければならないと一生懸命に仕事を続けた。1年後、本店人事部に異動、海外派遣の給与システム制度の改定にかかわった。

祖父の本出版を

そんな折り、証券の飛ばし事件など金融不祥事が相次ぎ、銀行の権威や信用は失墜。大阪の料亭の女将への融資事件にほんろうされた興銀も例外ではなかった。

---このままずっと銀行にいてはならない。が、オレは何をすればいいのか。 思い悩み始めたときに、一冊の本をてにした。母方の祖父の著した相場分析の『一目均衡表』である。その本には相場の他に人生哲学が述べられていた。

「---素人は株に手をだすな。どうしても株をやりたければ夫人といっしょに勉強してから始めなさい。年に1.2回夫婦が余ったおカネで投資し、少しもうける。そうすれば夫婦の和合になり、正しい財産形成にもなる」

---この本には素晴らしいメッセージが盛り込まれている。これを出版しよう。 近藤はひざをたたいた。