掲載誌名:週刊ダイヤモンド
日付:1998年6月27日
タイトル:私が日本企業を捨てた理由

独立した興銀マンたちの新しいメッセージ

高畑龍一さんが、高杉良氏の「小説日本興業銀行」に引かれて興銀に入ったのは、1986年のこと。仕事を通 じて自分の自己実現ができる数少ない会社ではないか、と思ったことがきっかけだった。

それが審査部にいたころに、大阪の料亭の女将に融資をし、責任をとるべき幹事がみんな被害者面 をすることに疑問が生じ、コーネル大学でMBA(経営学修士)を取得して、帰国したときにはすでに「価値観が完全変わっていた」。「留学ボケを直してやる」と、決まり文句で怒鳴る上司に単純にキレたわけではない。

新たに配属されたプロジェクト・ファイナンスの部署は、日本の旧来の銀行業務の世界ではなかった。インベストメントバンク(投資銀行)による資本市場の本質を問うグローバル戦争の場だった。

報酬や裁量権など日本の銀行とはまったく違う体系のプロの世界で、日本の上司たちは階段を上って出世したい一心で「日本の銀行的に管理しようとする。若い人たちはそれは違うんじゃないの、という業務レベルの話がいっぱいあった」。業務への不満で同期は次々に脱藩していったが、高畑さんは変化に機敏に対応出来ない日本のマネジメントの構造自体に、もはや馴染めなかったのである。

その彼に興銀時代の後輩にあたる近藤正純ロバート(同じくMBA取得)が、声をかけ出版ベンチャーのレゾナンス出版を今春設立した。 「興銀のような一流企業にいて、あなた幸せなはずなのに、どうしてそれを捨てて零細企業を」と、近藤さんは必ずきかれるという。

「とにかくいい大学、いい会社に入れば幸せなはずだと自分も信じてきたけれど、それは与えられた世界で生きてきただけだった。日本の教育の恐るべきは、好きでないことを耐え続けることがいいことだと教えている点だ。好きで夢中になれる人たちを集めている企業が、これからは本当の競争力をもつはず」

レゾナンスとは「共鳴」。価値観が崩壊しつつあるこの時代に、多くの人を共鳴させるメッセージを発信する狙いが社名に込められている。講談社で100万部以上のミリオンセラーを3回も記録した磯尾克行さん(ベストセラーをだしてもボーナスは1万円アップしただけ)も、創業メンバーである。

慶應大学4年生で、東大の野口悠紀雄教授のホームページをプロデュースしている森田康さんは、初めての新卒者として採用が内定しているが、すでに営業部長としてワゴンセールスの新企画を持ちかけるなど書店回りで活躍中だ。

ちなみに最初の単行本『成功術Xでいこう』(安生浩太郎著)は、都内の大型書店のベスト5のランクに入る勢いだ。その原動力になっているのが夕方になると集まってくる30〜40人の学生たち。

近藤代表が「この場で自分の好きなことを発見してほしい。この本は新しいビジネスマンの生き方を提案しているので、全国的な"うねり"にしたい。そのためのアイデアや戦略を考えてください」と、呼び掛けたら「学生たちは凄いですよ。超クリエイティブ。楽しいし夢中になれるせいか、新しいアイデアがどんどん出てくる」。

例えば、19歳の学生(現在、営業次長)が書店を回っていて、コーナーのお客をじーっと観察していて気づいたコーナーごとのポップ。「やるなら辞めろ/とにかく走れ/あなたが常識」、「MBAがなんぼのもんじゃい!自分の価値は自分で決める」、「税理士・公認会計士はもう使えない!?」・・・・。お客の期待感を裏切ったり、強めたりするメッセージを、徹夜で15のポップに仕立てて、書店を説得して各コーナーに立てたり、貼ったりした。

「日本には好きなことを徹底して忘れさせる壮大なシステムがあって、経済成長が担保されなくなったとたんにそのシステムが回らなくなった。にもかかわらずみんな形式や惰性でそれをやり続けている」

元興銀マンたちのこの会社は、その対極で新しいビジネスモデルをつくろうとしている。学生たちに自分が好きで夢中になれることに気づかせ、付加価値を生んだ人には必ずそのぶんを報酬で報いるという原則で事業を始めている。それは著者、デザイナー、写 真家といった外部スタッフにまで貫徹している。(後略)