掲載誌名:ダカーポ
日付:1998年6月3日
タイトル:体験、私たちはこうして会社を作った

1年生社長が保証する、起業は楽しい

98年3月設立
エリート青年たちが体当たりで出版社を設立 日本興業銀行員でMBA保持者、講談社でミリオンセラーを生んだスター編集者、超整理法の野口悠紀雄教授のホームページをプロデュースした慶應大学生の経歴を持つ4人によって設立されたのが、「有限会社レゾナンス出版」だ。
これだけのエリートをそろえながら、彼らのやり方は、でたとこ勝負、"体当たり"なのである。
代表で元興銀マンの近藤正純ロバートさんは、自ら設立書類を書き、法務局に提出した。が、すぐその場で係員に「定款上の所在地が東京都港区なのに、正確な所在地を決めた取締役会議事録が添付されていませんね」と指摘されてしまう(急きょ、取締役会を開く)。
出版社は、本の流通を担う販売会社に、取次コードを開くことから始まる。その一つである日販の担当者からも質問責めにあう。
「流通のためのISBNコードは取りましたか?」(その場でコード管理センターの地図を渡される) 「で、返品された本を収容されための倉庫は決めたの?」(すかさず倉庫会社を紹介してもらう)

深く考えたら何も出来ない
日本で広く使われている株価チャート「一目均衡表」の発案者を祖父に持つ近藤さんは、相場の神様であった祖父の哲学をいつかは今の世に伝えたいと思っていた。
興銀時代、アメリカで起業学を専攻したのがきっかけで、祖父が書いた本の現代版化を思い立つ。近藤さんより1年早く興銀を辞めていた高畑龍一さんに協力を求め、出版準備を開始した。が、 「今はいい大学を出て一流会社に入るといった既成の価値観が揺れ動いている時代。何も祖父の本いこだわらず、多くの人々に共鳴(レゾナンス)するメッセージを広く発信してもいいじゃないか」 と悟り、出版社設立を決意した。
近藤さんの弟は大前研一氏の仕事をしていたが、大前氏の著作を通じて面 識があった講談社の磯尾克行さんが、たまたま退社していることを悟り、「一緒にやろうよ」と声をかけた。
磯尾さんは普通の人が一生かかっても出せるかどうか分からないというミリオンセラーを入社3年にして、『ワイルド・スワン』『フォレスト・ガンプ』と、2冊も出してしまった編集者である。
「自分の中で完結した気になってしまって。もういいやって。それに自分がいくらがんばっても"講談社"という看板があったから売れたのでしょうと言われてしまう」
外に出ないと自分の力は試せない。また、当たれば業者や翻訳者は億万長者だが、会社員はボーナスがほんのわずか違うだけだ。
「当たればもうかり、悪いときにはリスクを背負うという緊張感があったほうが、いい本が作れる」 と磯尾さんは言う。
アメリカでは学者の発する難しいけれど優れたメッセージを、文芸編集者が面 白く書き直して大量に売るというやり方が注目されている。マイケル・ハマー著の『リエンジニアリング』が典型例で、コンサルティング会社を同時に活用するというクロスメディア戦略によって世界中に伝わった。近藤さんたちもそれを目指す。
その第1段として4月に発売されたのが、野村証券を辞め、米国公認会計士の学校を設立した、安生浩太郎氏の本だ。本に込められている「自分の直観で行動しろ」というメッセージは、まさにレゾナンス出版社の"体当たり"主義そのものである。

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